リッチレディ

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プロローグ

プリンセスゆみの
世界巡航記

私と妹のゆみは、
ヨットで世界を巡航しました。

妹のゆみは、
誰もが入学が難しいといわれる
国立の医大に入学しました。

妹は、
その国立の医大のヨット部で
ヨットを覚えました。

ヨット部は、
大学対抗の女子選手権で
6連覇するなど大活躍しました。

医大の授業の方も、
座学の成績は良かったのですが
実技の方が苦手でした。

どう苦手かというと、
カエルの解剖実習で
解剖を終えたカエルを
縫合して生かしました。

マウスの解剖でも、
実習を終えた後は
ちゃんと元通りに戻して
生かしてあげます。

先生に完全に解剖しろと言われても
必ず縫合して生かしてあげます。

動物を殺すなんてできません

妹のゆみは、
実習で扱う動物のことを、
殺したりすることは
どうしてもできませんでした。

妹のゆみは、
手先は器用な方だったので
小動物の小さな臓器も
治していました。

バラして保管するとか
生かせずに殺してしまう
という実習は
どんなに先生に命じられても
実行することが出来ませんでした。

そして、
医者への道を諦めました。

医大を諦めた妹のゆみは、
美大へと入学し直しました。

そして美大を卒業すると、
横浜の貿易会社に就職しました。

横浜の貿易会社へは、
お母さんの小さな赤いベンツで
車通勤していました。

会社では、
パソコンを使用して、
ウェブデザインしていました。

何年か勤めたのですが、
その会社は閉社になりました。

会社が閉社すると、
妹は特に慌てる様子もなく
家でのんびり過ごしてました。

大好きなお母さんと
いつも一緒に居られると
毎日、自宅で過ごしてました。

そんな妹を眺めて、
このままではニートにでも
なってしまうのではないかと
私は妹を心配しました。

医者のたまご

私立の医大に入学した私は
妹のように中途退学することなく
医大を卒業しました。

医大を卒業した私は、
自宅で歯科医院を開院している
父の病院で働いていました。

医者の仕事以外にも、
将来、父の病院を継ぐため
病院経営についても
学んでいました。

そして、
病院経営の勉学のつもりで
プリンセストレーディング
を起業しました。

無職になってしまった妹のため、
起業した会社の事業内容は
閉社してしまった横浜の貿易会社と
同じ事業内容にしました。

会社のホームページは、
妹に全て担当させました。

正直、起業したばかりの頃は、
会社を存続させていくだけで
必死で経営していました。

その後、
中等部時代の私の同級生、
小倉まなみも営業マネージャーで合流して
会社は順調に業績を伸ばしていきました。

長野県の亡き祖父母の実家で起業した
プリンセストレーディング
も、都内に汐留ヤードも開業できる
までに成長しました。

会社は、
同級生の小倉まなみ以外にも
15名ぐらいのスタッフも増えた。

好調なご褒美

ゆみも会社のお仕事頑張ったものね
なんか欲しいものある?

私は妹に聞きました。

じゃ、
お姉ちゃんとヨットで
世界中を旅したい。

世界中をヨットで巡り
野生動物たちのスケッチする
旅に出たい。

妹のゆみは私に答えました。

正直、私は
妹が可愛い洋服とか欲しい
と返事すると思っていました。

ヨットで世界を旅したい

なんて言われるとは
思ってもいませんでした。

妹のように絵描きではないので
動物をスケッチしたいとは
思いませんでしたが

妹とヨットで世界を旅したい
という気持ちには共感しました。

私も、
妹とヨットで旅したくなりました。

折しも、
世界で感染症が流行ったこともあり
外出もままならない時期とも重なり
妹ともっと自由に暮らせる
スペースが欲しかった
というのもあったかもしれません。

そして、
フランスのヨット造船所に
妹と世界を旅できるヨットを
オーダーしました。

フランスの造船所とは、
建造するヨットについて
何度もメールで打ち合わせしながら
建造してもらいました。

そのヨットが完成しました。

私は妹と世界へ旅立つため、
日本からフランスへ飛び立ちました。

続きは次のページ
進みましょう


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