レディーステレワーク

テレワークで女が稼ぐ夜

運河クルージング

プリンセスゆみの
世界巡航記

ヨットを
運河沿いの岸壁に停めると
夕食のお買い物に出かけた。

買い物に行くよ

私は、妹に指示した。

妹は、
バッグと財布を抱えて
キャビンから出てくる。

運河沿いの道路を渡ると
すぐ目の前に
スーパーが在った。

スーパー、近い。

目の前のスーパーで
カートを押しながら
お買い物する。

日本のスーパーと違い
フランスサイズというか
売っているものが
みなワンサイズ大きい。

このお肉
美味しそうじゃない

祥恵は、
大きなお肉の塊を掴むと
カートの中に放り込んだ。

大きすぎて食べきれないよ

船に冷蔵庫あるから
大丈夫よ

祥恵は、ゆみに答えた。

ヨットのギャレー
台所には大きな冷蔵庫が
付いていた。

せっかく
スーパーのすぐ目の前に
停められたので
今晩の夕食だけじゃなく
何日分かをまとめ買い
していた。

スーパーのカートを借りて
ヨットまで運んだ。

これだけあれば
パリまで持つでしょう。

私は、お肉の塊を
そのまま冷蔵庫に
突っ込んだ。

私の突っ込んだ肉を
妹はもう一度取り出すと
塊を切り分けて
袋に収納すると
冷凍庫に入れた。

料理は、
いつも母と一緒で
料理も手伝っていた
妹の担当だ。

妹のゆみは、
ニューヨークで生誕した。

母の実家は、
ニューヨークに在った。

母の身体は、
出産に不向きな身体で
私の出産の時も
けっこう難産だった。

妹の出産は、
さらに体調が悪く
母は出産の際
実家に帰っていた。

ニューヨーク、
ニュージャージー州病院で
妹は誕生した。。

生まれたばかりの妹は
未熟児で身体も弱かった。

そのため、
帰国の飛行機に乗れず
身体が飛行機に乗れるぐらい
丈夫になるまで
ずっとニューヨークで
祖父母の家に暮らしていた。

その間、父と私は
日本に暮らしていた。

妹が飛行機に
乗れるようになって
日本へ帰国できたのは
小学校1年生に
なった時だった。

小さい頃から
母と一緒に暮らしてきた
妹はいつも母と一緒だった。

母も医師免許は持っていたが
歯科医院の仕事はたまに、
基本は専業主婦だった。

なので、
その母と一緒だった妹も
家事はよく手伝っていて
私より得意だった。

野菜も
ちゃんと袋ごとに詰めて
冷蔵庫に入れていた。

手伝おうか

私も妹を手伝って
買い物の片付けをしたが、

向こうでテレビ見ていて

大雑把な性格の私は、
妹にリビングへ
追いやられてしまった。

初めての夜

私がリビングで
フランス語のテレビを
見ていると、

お姉ちゃん、ごはん

妹に呼ばれた。

妹に呼ばれて
キッチンに行くと
ダイニングテーブルの上に
もう夕食が出来上がっていた。

あら、美味しそう

さっきのお肉を
シチューにしたの

ゆみは、姉に答えた。

さあ、食べましょう。

手を洗ってきて下さい

そのまま、テーブルの
席に座って食べようと
すると、私は
妹に言われてしまった。

はーい

私は、
妹に言われて
洗面台に行って
手を洗ってきた。

いただきます

私は席に着くと
食事をしながら
妹に話しかけた。

明日は、ロックで
水の補給もするからね

ゆみは、
食事を装って
テーブルに並べながら
姉の話を聞いていた。

ロック?

ロックは、
運河の所々にあって
船を上流にある
パリに向かって進むため
運河のエレベーター
みたいなところ

ロックとは、
川の下流から上流に
移動する際に
船がその中に入ってから
入ってきた側のゲートを閉め
水を入れていく。

水が入ると、
ロックの水位が上がって
中の船も上がっていく。

上流の川と同じ
高さの位置まで上がると
入ってきた側と逆の
ゲートを開け開放すると
船は上流の川へ抜ける。

上流から下流へ下る船は
逆にロックの中で
水位を下げて下流の川へ
進めるのだ。

パリに到着するまでには、
いくつもロックがあって
ロックを越えていかないと
パリへは到着できない。

お姉ちゃんは、
ロックのシステムを
丁寧に説明してくれたが
ゆみにはよくわからなかった。

よくわからなかった
というよりも、
ロックの操作なんて
ゆみがやらなくても
お姉ちゃんがやってくれる
だろうと思ってたので
真剣に聞いていなかった。

就寝

まりちゃん、
どうしているかな?

ゆみは、
右舷後部の部屋で
姉と一緒のベッドに
入りながら言った。

東京で元気にしてるわよ。

寂しがっていないかな?

ゆみは、つぶやいた。

まりちゃんとは、
東京の家にいる
黒と白のパンダ柄の
女の子の猫のことだ。

まりちゃん以外に
金色のトラジマの猫もいる。

トラジマは、
美奈ちゃんだ。

猫は2匹だけだ。

ほかに、
テリア犬のメロディがいる。

メロディは、
ゆみがニューヨークに
いた頃から一緒の子だ。

ニューヨークで
暮らしていた頃は
身体が弱く、
ナーサリースクールも
キンダーガーデンも
通えなかった。

祖父母の家で
ほとんど家の中で
過ごしていたことが多く
寂しいだろうと
おじいちゃんが飼って
くれた犬だった。

ゆみが、
小学校に上がる時、
日本へ帰国した。

帰国の時は、
メロディは祖父母の所に
置いてきぼりだったけど、

メロディも寂しがり、
ゆみも寂しがったので、
おじいちゃんが検疫を
受けさせてくれて
日本へ来れたのだった。

そのメロディは、
おばあちゃんになってしまい
今はいない。

が、
おばあちゃんになる前
子犬を生んでいて
その子が大きくなったのが
今のメロディだった。

明日は、ロックを
いっぱい通るから早く
寝ておきなさい。

私は、妹に言った。

まりちゃんも連れてくれば
よかったな。

妹は、
また無茶なことを
口走っていた。

このクルージングに
猫まで連れてきたら
検疫やら何やらで
大変なことになっていた。

私は、妹に
猫のことは忘れさせようと
一生懸命に頭を撫でて
寝かしつけていた。

今日の宿泊場所

お姉ちゃん、
何を着ているの?

布団の中に潜り込んでいた
ゆみが突然叫んだ。

何、どうしたの?

私は、
布団をめくって妹を見た。

お姉ちゃん、
それ、パジャマじゃないよね

私は、
ヨットで寝る時は、
ジャージを着ていた。

いつも
横浜の父のヨットで
クルージングに出た時も
寝る時はパジャマでなく
起きている時の服を着て
眠っていた。

それが
ヨットでのクルージングでは
当たり前になっていた。

やだー、
ちゃんとパジャマに着替えて下さい

妹は、私に言った。

妹のゆみは、
足首まで隠れる
長いワンピースパジャマを
着て、寝ていた。

ヨットでは、
パジャマなんて着ないのよ
寝る時も普通の服装で寝るの

私は、
妹に説明したが
妹は納得しなかった。

寝る時に、
起きてる時と同じ服装で
ベッドの中に入らないで
と諭されてしまった。

仕方なく、
私は持っていたパジャマに
着替えてきた。

パジャマ姿を確認した妹は
ようやく納得してくれた。

おやすみなさい

おやすみなさい

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進みましょう


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