リッチレディ

テレワークで女が稼ぐ夜

プリンセスゆみの世界巡航記

プリンセスゆみの
世界巡航記

プリンセストレーディングの代表であり、ゆみの姉でもある祥恵は、フランスの造船所で製造した40フィートのカタマランヨットで、妹のゆみと暮らしながら世界を巡航しました。

プリンセストレーディング代表の今井祥恵です。

私の父は、横浜のヨットクラブに30フィートのヨットを所有しており、中等部の頃から毎週日曜になると父と一緒に横浜へヨットに乗りに行っていました。その頃の妹は、まだ身体がそんなに強くなく、スポーツが苦手でヨットなんかとてもじゃないけど乗れませんでした。そのため、いつも妹は母と家でお留守番でした。

そんな妹のゆみは、私が受験しても合格できなかった国立の医大に合格しました。妹は、姉が医大に行くと言うから同じ医大を受験したのだから、姉が国立の医大に行かないのならば、私も行かないと駄々をこねました。そんな妹を、私は叱り、妹1人で国立の医大に入学させました。

入学式当日、大学のキャンパスでは、いろいろな部活が新入生たちを勧誘していました。その中に、ヨット部があり、妹は、ヨット部の勧誘を見つけて、中等部の頃にいつも姉と父がヨットに乗りに行くのを見送って留守番していたことを思い出しました。当時、乗れなかったヨットに乗れるならと入部を決めました。

ゆみとヨット

大学のヨット部は、父の所有していた30フィートのヨットと違って、船内にキャビンも何もついていない、470と呼ばれる2人乗りのヨットでした。

470は、2人乗りのヨットのため、1年生のゆみは、先輩の女子部員と2人1組で乗ります。先輩が、ヨットの後部にあるコクピットに腰かけてティラー、舵を握って操船します。ゆみは、ヨットの前部に腰かけ、そこにいっぱいあるセイルを操作するためのシート、ロープを引いたり緩めたりしてセイルが風に孕むように調整します。

ゆみは、中等部の頃よりは身体もだいぶ丈夫になったとはいえ、小柄でそんなに力がある方ではありません。ヨットのシート、ロープは、セイルに風が孕むとかなり重くなって、引いたりするのにも、けっこう力が要ります。力のないゆみには、重すぎてなかなか引けません。

そんなゆみの姿を見た先輩は、コーチに私が前部でシートを操作するシートトリマーを担当するから、ゆみに後部でティラーを操船するスキッパーを担当させてもいいかと提案した。大学のヨット部は、先輩が後部でティラーを操船し、後輩が前部でシートトリマーを担当します。先輩の提案は異例なことでした。

結果的に、この提案が良く、先輩からティラーを任されたゆみは、風や波の変化を敏感に感じるセンスがあったらしく、風と波の向きを上手に捉えてティラーを操船し、ヨットを誰よりも早く走らせました。

その後、先輩とゆみのチームは、チームを組んでいた3年間、大学対抗の女子選手権で6連覇を達成しました。ゆみの合格した国立の医大は、勉学は得意だけど運動は苦手といわれていた大学で、この大学が運動系の部活、ヨット部で6連覇を達成するなんて異例のことでした。ヨットの専門誌からの取材も多く、人見知りのゆみに代わって、先輩はヨット専門誌に顔写真入りで登場することが多く、先輩はヨット業界ではちょっとした有名人でした。

そんなわけで、大学時代のヨット部の経験から、私だけでなく、ゆみもヨットに乗れるようになりました。

プリンセスゆみの世界巡航記 目次

こちらでは、プリンセスゆみの世界巡航記の目次をご案内致します。

プリンセスゆみの世界巡航記

Copyright © 2016-2024 リッチレディ All Rights Reserved.

Produced by プリンセストレーディング Designed by 今井ゆみ | 利用規約 | プライバシーポリシー.